「潰れて空いた店舗は借りるな。

潰れるには潰れる理由が店舗にあるからだ」


とだれかの本で読んだことがあるが、

まったくその通りだと今は思う。


10年前、私は新築だった

このマンションに引っ越してきた。


1階は店舗フロアになっていて

駅前ということもあり、

小洒落た店が次々オープンした。


その一角に、これまた洒落た感じの

スパゲティ屋ができた。


あいそのよい明るい感じの若夫婦がやっていて、

おいしいし安いしで繁盛しているようだった。


ところが3年ほど経ったころ、

急にこのスパゲティ屋の味が落ちた。


そして若奥さんの雰囲気がみるみる変わっていった。


あれほど明るくかわいらしい人だったのに、

うつむき加減の暗い雰囲気をまとい、

50代かと見間違えるほどの老け込みようだった。


あまりの急激な変化を不思議に思っているうちに、

店の中で奥さんの立ち働く姿が見えなくなり、

そのうち、何日間か「臨時休業」のお知らせが貼りだされていた。


事情通のマンション住人のおばさんから聞いた話では、


「だんながアルバイトの女の子と浮気をして、

悩んでいた奥さんがある日ヒステリーを起こし、

発作的に自殺してしまった」そうだ。


噂は尾ひれがついて広まるもので、

実際奥さんが自殺したのかどうかはわからない。


ましてや噂好きのおばさんの話だ。


本当のところはどうなのか知るところではないが、

再開したスパゲティ屋の店内に奥さんの姿はなかったし、

なにより店の様子の奇妙な変化に

噂は本当だと思わざるを得なかった。


赤を基調にセンスよくデザインされた

小さなスパゲティ屋。


入り口はきれいに掃き清められ、

花壇には手入れの行き届いた花々が咲いている。


窓も曇りひとつないように磨かれて、

窓辺にはかわいい小物が

抜群の配置でディスプレーされている。


新築物件、開店三年ほど。


どれもぴかぴかのはずなのに。

奥さんがいた頃と何も変わってないのに。

店の外観がなぜだかすすけて暗く見える。


まるでこの一角だけが

急に老朽化してしまったようだった。


飾ってあるかわいい小物達が、

潰れた骨董屋のような雰囲気を醸し出してる。


窓に蜘蛛の巣がかかっているような錯覚を覚え、

店内の様子をのぞいてみて驚いた。


店内を彩る塗料は色あせ、壁紙は破れ、

めくれ上がり客のいない暗いフロアは

まるで廃屋そのものだった。


白いコック服を着て立ち働くご主人は、

廃屋をさまよう幽霊のように見えた。


驚いた。


あまり驚いたので、

そのまま店の中に入ってしまった。


ところが店に入ってみると、

当然のことだが塗料もはげてないし、

壁紙だってちっともめくれてない。


いつもどおりの店内だった。


いつもどおり・・・


いや、照明はついているのにかかわらず異様な暗さ、

カビのような訳のわからない匂い・・


やっぱり変だ。


主人の以前にも増した明るい態度が

妙に不気味に感じられ、

失礼だとは思ったが食事をする気になれず

逃げ出してしまった。


こんな奇妙な店が続くはずもなく、

天井をぼーっと放心したように見上げている

ご主人の姿を何度か見かけるうち、

「臨時休業」が多くなり

そのうち開けられることもなくなって、

気が付くと「貸店舗」の看板が立てかけられていた。


おばさんいわく、夜逃げしたんだそうな。


駅前通りの最高の立地条件。


大改装をして次の店がすぐ入った。


が、やはりどんなに明るい色使いの店舗デザインをしても、

廃屋の雰囲気がただよっていた。


そして数ヶ月で潰れた。


その後、いろんな業種が入るが

どれも一年もった店はなかった。


いくつめだったろう。


「時代遅れの喫茶店」


という風情の、

いかにもださい喫茶店がオープンした。


これもすぐ潰れるんだろうと

マンション住人で噂していたところが、

なんと1年以上もった。


最高記録だねーと

無責任に言い合っていたのもつかの間、

店主が突然の心臓発作で店で倒れ、

そのまま帰らぬ人となる。


私もその場に居合わせてしまったので、これは事実だ。


当然喫茶店は閉店して、しばらく空家だった。


そして1年程前に漫画喫茶がオープンして

三ヶ月で潰れて以来それっきり。


小綺麗なマンションに廃屋がはめこまれたような

異様な外観を呈していたが、

最近改装業者がやってきて

店舗を覆い隠すようにシャッターを取り付けていった。


もうだれも、あそこに店を出すことはないのだろう。


スパゲティ屋の若奥さんの怨念じゃないかと、

マンション住人は噂している。