どこが担当なのか分からないので、代表番号に掛けて内容を告げる。内線でお繋ぎします、という言葉のあと、保留音をたっぷり聞かされてからようやく電話の相手が出た。聞きたいことを単刀直入に話す。苛立ったような声が返ってきた。
「あのですね。今、市内でそんな公共工事はやっていません。じゃあ民間企業の騒音公害だって言われても、それがどこでやってるのかもわからないじゃ、注意のしようもないでしょう? 朝からなんなんですかいったい」
聞きもしないことまで返ってきた。そして電話は切られる。思わず時計を見るが、12時を回っている。ということは、朝から、とは別の人からの電話のことらしい。
それも1件や2件ではなさそうだ。
分かったことは、市内の恐らく複数の場所で工事をするような音が聞こえているということ。しかもどこで行われているのか誰にも分からない工事が。
いったい、これはなんだ?
なにかが私たちの周囲で起こりつつあるのに、それがなんなのか未だに分からない。
ただすべてが見えない糸で繋がっていることだけは分かる。
鳴かないスズメ。思い出せない怖い夢。落ちてくる石。引き抜かれる並木。音だけの工事。街中で起こった奇妙な出来事。
表面の手触りに騙されてはいけない。本質から眼を逸らしてはいけない。
公衆電話の前で私の心は静かになっていった。
廊下へ向けて歩き出す。
あいつはいるだろうか。
会わなくてはいけない。そして聞かなくては。
すれ違う女子学生たちと、私は同じ服を着ている。彼女たちは教材を抱いている。もたれるように笑いあっている。パンと牛乳を持って歩いている。私は教室へ急いでいる。けれどそこには明らかな断絶がある。それは私自身が一方的に作ってしまった断絶なのかも知れない。でもその断絶を心地よく感じている自分がいる。
同じ噂を聞いているのに、私だけは日常から足を踏み外している。

探ろうとしているのだ。
次に起こることを。そしてどう備えるべきかを。
自嘲気味に笑った瞬間を廊下の向こうから来た女子に見られ、変な顔をされる。見たことがある子だ。同じ1年生だろうか。また怖がられるな。
案外とウジウジしたことを考えている自分に気づき、軽く頬を張る。
その教室についた時、廊下側の窓際でお喋りをしている数人の女子がいた。
中の一人に遠目から話しかける。
「石川さん、あいつ、今日来てる?」
その子はこちらをチラリと見て人差し指を教室に向ける。私は「ありがとう」と言って、教室のドアに手をかけた。
自分のクラスではないが、このところココへ来ることが増えつつある気がする。
教室の中はどこにでもあるようなざわざわとした空気が満ちていたが、明らかに異質な雰囲気が隅の方の一角から漂っている。説明しがたいが、眼に見えない透明な泡がその辺りを覆っているような感じがする。
このクラスの連中はみんなこれに気づいているのだろうか。
その泡の中心に氷で出来たような笑みを表情に張り付かせた短い髪の女が座っている。
間崎京子という名前だ。
教室に入ってきた私に気づいたのか、周囲にいた数人の子に何事かを告げて席から離れさせたようだ。
取り巻きができつつあるというのは本当らしい。この油断ならない女のどこにそんな魅力があるのか分からない。
「聞きたいことがある。ちょっと出られるか」
なにか意地の悪い軽口でも出そうな気配だったが、意外にも彼女は頷いただけで立ち上がった。

そしてドアに向かうため踵を返そうとした私の顔の近くで、「やっとデートに誘ってくれたわね」と言う。
やっぱり出た。
ムカッとしながら、それを無視してさっさと教室から出る。私たちは非常口の外の階段まで歩いた。
風が首筋を吹き抜け、空から夏の陽射しが降り注いでくる。他に人はいない。
「で」
間崎京子は手すりに身を寄せて地面を見下ろした後、顔をこちらに向ける。
「知っていることを全部話せ」
「……唐突ね」
さして驚いた様子もなく京子はニコリと笑う。
私はこの女と腹の探り合いをすることの面倒さを考慮して、こちらが知っていることをすべて並べ立てた。
本を買って調べた『ファフロツキーズ』のことまで。
彼女はそれを面白そうに聞きながら、ワザとらしい動きで顎を右手の親指と人差し指で挟む仕草をする。
「不思議ね」
「それだけか」
この何もかも見通しているような女が、街に起こりつつある異変を察知していないはずはない。
「不思議ね、と言うだけで満足する人たちのようにはなれないのね。あなたは」
まるで100点を取った子どもを褒めるような口調だった。そうして京子は視線を逸らし、遠くの街並みに目を向ける。
つられて私も初夏の陽射しを照り返して浮かび上がる建物の屋根やねに目を細める。
「たいしたことじゃないけど、『ファフロツキーズ』ってチャールズ・フォートの言い出した言葉じゃないわ。アイバン・T・サンダーソンの命名よ」

京子は街を見下ろしたまま淡々と言った。
「チャールズ・フォートこそ、『ファフロツキーズ』という言葉に振り回された人間だったのかも知れない。空から落ちてきた物を、すべて一つの概念にまとめようというのがどれだけ無謀なことだったか、なんとなく分かるでしょう?」
前から思っていたが、こいつはなんでこんなに偉そうな物言いをするのだろう。
「あなたも一度その『ファフロツキーズ』という言葉を捨てて考えてみたらどうかしら」
その問いかけは単純な忠告なのか、それともこの異変の正体を知った上で私に与えているヒントなのか。
私は京子の横顔を睨みつける。
「もうすぐチャイムが鳴るね」
京子は手すりから手を離し、私に向き合った。
「クイズ」
「は?」
「クイズを出すからよく聞いてね」
相変わらず唐突だ。思考を読めない。
「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足。これは何?」
「……人間」
「じゃあ、道行く人にその謎を出して答えられなかった人を食べちゃう怪物は?」
「スフィンクス」
「さすがね。では、そのスフィンクスとキマイラとの共通点は?」
キマイラというのはあれか。ライオンの頭と山羊の身体を持つ怪物のはずだ。片やライオンの胴体、片やライオンの頭部を持っている。それが共通点だろうか。
「じゃあ、それらとスキュラの共通点は?」
スキュラ? とっさに姿が浮かばなかったが、なんとか記憶を掘り返すとどうやら上半身が女で下半身が犬という怪物だったような気がする。