2年くらい前の話になります。


私が以前借りていた古い木造一軒家は、

深夜に一回だけ電話が鳴って切れる事がよくありました。


私は当然、それをワン切りだと思いました。


深夜にかかってくるので迷惑している人も多いと聞きます。


そこで使っていたのは留守電機能さえない古い機種で、

当然着信履歴も付いていません。


ですからワン切りがかかってきても、

実際どうすることもありませんでした。


しかしある晩、私はとても怖い思いをしました。


それ以来、あの電話はワン切りとは関係なかったのだと思っています。


その時の事を思い出しながら書いてみようと思います。


深夜に電話が鳴るようになったのは、

そこに住み始めて半年くらい経ってからでした。


しかし繁栄に鳴るというわけでもありません。


月に4回くらいでしょうか。


鳴る時間は深夜の3~4時頃で、

電子音でプルルルルルと一回鳴るだけで切れてしまいます。


それが鳴ると、いつも私は布団を頭から被って丸くなりました。


呼び出し音の後に、家の中全体がざわりとする感じがして、

それがとても怖かったからです。


私は「人の気配」や「強い視線」などの言葉を使おうとは思いませんが、

それは子供の頃に隠れん坊をしていて、

鬼が近付いて来たときの感じに似ているといえば近いでしょうか。


目を固くつむって鬼が去るのをじっと待っているときのような、

そんな気分でした。


そして布団を被った後は、必ず朝まで悪い夢にうなされたのです。


それでも私は、この恐怖心は単に心理的なものであって、

別の原因を考えはしませんでした。


深夜の呼び出し音は嫌なもので、

人を何かしら不安な気持ちにさせるものです。


不安からくる怖さ。


すべては単なる気分の問題だと思ったのです。


またそれとは別に、もう一つ気になることもありました。


寝室の押入の左端が、

たまに10センチ程度開いていることがあったのです。


私は押入が少し開いているのが嫌いなので、

いつもきちんと閉めるようにしています。


きっと怪談話の影響でしょう。


何かが隙間から覗いていると嫌だからです。


しかしそうしているにも関わらず、

たまに少し開いていることがありました。


ちなみにここの左端だけは、中に何も入れていませんでした。


そこの部分だけ、

なにか嫌な匂いがするので使っていなかったのです。


それは例えの難しい匂いなのですが、

魚が腐った匂いを薄めて少し変えたような、とにかく嫌な匂いでした。


使いたくないので脱臭剤を入れたきり、空っぽにしておいたのです。


薄い板一枚隔てただけの隣部分が、全く匂わないのは少し不思議でした。


さて、ここから問題の夜の話になります。


その日、私は夕食後に軽く居眠りしてしまった為なかなか寝付けず、

寝たり覚めたりを繰り返していました。


家はとても古い造りで、中の部屋は全部障子で仕切られています。


私は開放感を得るため、普段からこれを全開にして使っていました。


家全体を一部屋として使う感じです。


夜は個々の部屋の豆電気を付けているので、

本は読めないまでも部屋の中のものは案外見える状態でした。


その時また目が覚めてしまった私は、

足の方にある押入をぼんやりと眺めていたのです。


すると、何かフスマの表面がモゾモゾしているのに気が付きました。


押入の例の左端部分を、

内側から誰かが指で押しているようなのです。


クッ・・クッ・・と微妙に位置を変えながら何度も繰り返し、

それは退屈した子供が指で遊んでいるように見えました。


私はキョトンと夢の中の出来事のように思いながら、

しばらくそれを眺めていたのです。


その時突然、例の電話が鳴りました。


いつものようにプルルルルと一回だけです。


私は予想もしていなかったので、

驚いて心臓が止まるかと思いました。


そしてその音が鳴り終わるとすぐ、

音もなくフスマが少し開いたのです。


そこからは少し震えながら、白く細い腕が出てきました。


それは薄く透けていて、

まるでレントゲン写真を見ているようでした。


華奢で細く、小さな女の子の腕のように思えました。


そして腕は肘の上あたりまで出てくると止まり、

下に向けた小さな指が開いたり閉じたりして、何かを探っていました。


私にはその動作が、電話の受話器を探っているように見えたのです。


しかし電話は遠く玄関の脇に置いてあります。


当然届く距離ではありません。


それでもその腕は、あきらめずにその動きを繰り返していました。


一方それを見ていた私はというと、

布団の中ですっかり足に力が入らなくなっていたのです。


腰が抜けた状態だったのでしょうか。


以前に経験が無いのでよくわかりません。


少しでも腕から離れようと思った私は、

いつものように布団を頭から被ると、

尺取り虫のようにして隣の部屋へ逃れようとしました。


そして隣の部屋へ向かい不格好に向きを変えていると、

玄関にある電話の乗った台のわきにも、誰かいるのが見えたのです。


それは半袖を着た女の人でした。


その人も白く、レントゲン写真のように透けていました。


顔を深く俯けじっと正座をしているのですが、

私はその顔が妙なことにすぐ気が付きました。


目の位置が変なのです。


おでこの辺りに付いていました。


白い前髪の隙間から覗くアーモンドのような形をした目が、

押入の腕の辺りをじっと睨んでいたのです。


その目はとても怒っているように見えました。


私は両肩の脇で布団の端を固く閉じると、

ジリジリと隣の部屋に逃げ込みました。


外に逃げれば良いと思う人もいるでしょう。


でも深夜です。


寝間着のまま外に出ても行くところもなければ、

女の人のわきを通って玄関へ行く勇気も私にはありません。


隣の部屋のテーブル下にたどり着いた私は、

布団ごと体を小さく丸めました。


結局朝までそのままの格好でした。


もちろん眠ることなんか出来ません。


明るくなって隙間から怖々覗くと、女の人も腕もいなくなり、

押入のフスマが少し開いたままになっていました。


呼び出し音の後に部屋がざわめいていたのは、

彼女達がいたからだったのでしょう。


女の人は、押入の中の子のお母さんだったのでしょうか。


詳しいことは何も調べられないまま、私は引っ越してしまいました。