知り合いにHさんという人がいる。


Hさんは会社をすでに退職した身で、

退職した後で少し体を悪くしてしまった。


それ以来、医者のすすめで、

家の周辺を毎夕、散歩することにしているらしい。


Hさんの家は、山の手の閑静なところにあり、

近所付き合いもあまりなく、

周囲を出歩く事もすくなかったHさんは、やっと今になって、

自分の住んでいるところを見て周る機会に恵まれたという。


そんなHさんが、ある話をしてくれた。


ある日の夕方、Hさんはいつも通りに家の周囲を散歩していたのだが、

今日に限って少し遠出をしてみることにしたという。


家から少し離れたところに神社があり、

そこへ寄ってみたのだ。


神社の奥にはうっそうとした森があり、

Hさんはそこへ足を踏み入れた。


木々の間から光が差し込み、

ひぐらしの鳴き声があたりに響く。


森の中はひんやりしていて

とても素晴らしい場所であったらしい。


「はじめて来たけど、いい場所だなあ。

もっと早くに来ていれば良かったなあ」


Hさんはそう思い、さらに奥へと足をのばすと、

突然、目の前が急に開けたらしい。


深い緑色の水がそこにあった。


そこは溜め池だったらしい。


それにしても、大きな池であったらしいのだが。


周囲に木がおい茂り、池の中も水草でいっぱいであり、

魚も多くいそうだった。


Hさんは、自分が釣りの趣味があればよかった、

などと思いながら、池の周囲を散策していた。


スーッと、Hさんの目の前をトンボが飛んでいった時、


ぼちゃン


水音がしたそうだ。


Hさんが首をまわすと、岸から4~5mくらい離れた所の水面に

大きな波紋が広がっていくところだった。


「魚でもはねたのか?」


そう思ったHさんの目の前に、突然、

「それ」が浮かび上がったらしい。


「ボール・・・?」


Hさんははじめそう思ったそうだ。


それは灰色のぐちゃぐちゃしたボールに見えなくもなかった。


ちょうど、サッカーボールくらいの大きさだったらしい。


誰かが、池にボールを落として、

それがガスが抜けて、浮かび上がってきた―・・・


Hさんはそう考えたそうだが、それにしてはボールがおかしい。


ボールの表面に、血管のような網膜模様がはしり、

黒い二つのビーダマのような穴があって、こっちを見ている。


それはまるで目玉のように見える・・・


魚臭い匂いがあたりに漂ってきた・・・


そのとき、


「キキキキキキキキ・・・」


突然ヒグラシの大合唱がはじまり、森はその声に包まれた。


Hさんの注意は、その瞬間、森へと向けられた。


そして、ハッとした彼が、池に視線を戻すと、

そこには緑色の水が広がっているだけだった・・・


Hさんが言うには、「それ」は、

マネキン人形の頭部のようだった、というらしい。


髪の毛も何も無いマネキンそっくりだった、と。


もっとも、普通、池の中にマネキン人形などがあるはずがない。


Hさんは、現在も変わらず散歩を続けているが、

依然とはそのコースが微妙に違うという。