動物霊をご存知だろうか。
その名の通り動物の霊なのだが、
民間伝承でもよく知られているものは狐狸の類であろう。
これらに限らず、
特に畜産や水産に関わる動物への信仰は強く、
墓や碑も多く存在する。
これは、その動物霊に関する話である。
私が幼少時代に育った村では
当時から米や果物の生産が盛んだった。
今でこそ極力殺傷は控えるものの、
その農作物を荒らす猿や猪を駆除することがあった。
そして、小高い山の上には猿の墓と碑があった。
我々は、その山を「山西の山」と呼んだ。
その理由は、
そこを管理しているのが神事関係者ではなく、
農民の山西一家であったからだ。
(供養は、年に一度神社の神主が担当する。)
山西家では、
息子の正太郎が小学校中学年になると、
猿の埋葬の一切を彼に任すようになった。
正太郎は、私の同級生であった。
彼は猿の死骸が出ると、
それを持って山西の山に登っていった。
時には、
罠によって頭部が潰れ脳味噌が飛び出したものや、
腸がだらんと垂れたものを担いでいった。
猿と人間で差異はあるとはいえ、
形や構造はまるで変わりないので、
正太郎はガキ大将の俊介と
その取り巻きにいじめられるようになった。
彼が、また猿の死骸を担いで
山西の山に向かっている時だった。
「や~い、猿殺しの正太郎!」
「また殺したんか、俺たちも殺されるわ!」
「寄るな寄るな!」
正太郎は、
ただ黙って山に登った。
そんな時期から、
彼は変わってしまったように思う。
「おい、猿殺し!」
俊介が正太郎の首を捕まえて因縁をつけていた。
「ギャー!」
正太郎は急に奇声を発し、
口を開いて威嚇した。
その姿はまるで猿のそれであった。
驚いた俊介はその手を放し、
後ずさった。
正太郎は、
なんと四つん這いで走って逃げたのである。
それからというもの、
正太郎の奇行は村で知られることとなった。
ある時は道を歩く老人に飛びかかり、
ある時は掃除に使うバケツの水を異常に怖がった。
正太郎は学校に来なくなった。
そして、
猿の埋葬にも行かなくなったようだった。
噂では、お祓いも試したそうだが、
「強い動物霊が憑依している」
とのことで、
手の施し様がないのだという。
ある時、
俊介たちが山道を歩いている時だった。
道の端のしげみに、正太郎がいるのだ。
俊介は正太郎の奇行をよく知っていたので、
相手にするつもりはなかった。
しかし、
取り巻きの一人が言い出した。
「じゃんけんで負けたやつが、
正太郎にちょっかいを出そう。」
負けたのは俊介であった。
俊介は気付かれないように正太郎に近づくと、
後ろから軽く小突いた。
すると、正太郎が急に振り返り、
「ギャー!」
と叫び俊介に飛びかかった。
正太郎は頭に噛みつき、
顔面を爪で引っ掻いた。
血だらけになった俊介を見た取り巻きは
必死の思いで逃げ出した。
しかし、この時の正太郎の執念は異常であった。
背を向けた俊介に飛びかかると、
何度も爪を立てたのである。
それでも俊介はなんとか逃げ延びられた。
ただし、いじめの代償は大きく、
彼の左目に光が差し込むことはなかった。
この事件をきっかけに、
山西家は当時では珍しい精神科医に診せるという名目で、
どこか違う土地に越していった。
それから、数十年たった今、
正太郎のことを記しているのには理由がある。
当時俊介の取り巻きであった一人が亡くなったのである。
首を噛まれ死亡しているのが発見された。
警察は猟奇殺人として捜査している。
正太郎が生きていて、
我々に復讐しているとは考えたくない。
あの時、私が
「じゃんけんで負けたやつが、
正太郎にちょっかいを出そう」
などと言い出さなければ、
こんなことにならなかったのだろうか。
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