生駒山に初詣のような感じで寄った。


1月の半ばくらいかな。


当時付き合ってたやつと二人で

ドライブしているうちにちょっと見かけたから行ってみたわけ。


ちなみに霊感みたいなものは二人ともなくて、

俺が辻褄が合わないような目に遭いやすいってくらい。


奈良側から上って、

すぐになんかの神社についた。


結構有名だと思うけど、

もうその神社の名前は忘れてしまった。


日本で唯一歓喜天?ガネーシャ?を祭ってるとか

そんな呼び込みだった。


俺も彼女も神社巡りとか嫌いじゃないから、

ああ、面白いね、って感じで登ってみたわけ。


山道だよ。


石段が続いててさ。


両脇に奉納された地蔵が

ずっと何百何千連なってる。


でも不気味な感じじゃなくってさ、

すがすがしい感じで、

石段登っても全然疲れなくて

不思議だなあと思ってた。


本殿?奥の院?まで結構あって、

かなり立派な神社だった。


でも一番奥の一番でかい社殿には、

歓喜天がいなかった、ような気がする。


だから、せっかくだから

歓喜天のいる社殿にも回って行こうって話になって、

いろんな小道をぐいぐい進んでさ。


そして小さめの社殿に着いたんだよね。


その社殿には普通にお参りしたんだけど、

なんか裏側に道が続いてんの。


裏側は岩山なのね。


崩れそうな石段でさ。


フェンスが張ってあって、

登れないようになってる。


で、俺はその石段の行く先を見上げてみたの。


そしたら石の鳥居が見えた。


奥に祠のようなものがある。


その祠に注目した瞬間、

いきなり目の前に、なんつーの?

バン!バン!バン!って、白い和紙に、黒い太い墨で

カタカナで真言?みたいなのが浮かぶの。


どんどん殴り書きされていく。


オンマニなんとかかんとか、みたいな。


もっと違うやつだったけど。


不動明王の真言とかって、

よく祀ってある所に行くと書いてあるじゃん。


あんなのがすごい勢いで、

縦横無尽に書き込まれていくの。


でも目はその祠を見てるわけ。


でも一方でその、

埋まって行く白い和紙を認識してるわけ。


光景がダブるというか、

すごく妙な感じ。


ハア???って思って、

視線をすぐそばにあった看板に移した。


「この上の祠は、

以前は修験者が修業の場としていましたが、危険な為、

現在は通行止めです」


と書かれていた。


俺はぼんやりと、

ああ、今のはその修験者の人達が唱えていた真言だったのかな?

と思った。


彼女に話すときっと変な顔をされると思って言わず、

歓喜天の祀られている


社殿についた。


扉が閉まってて、

ご本尊である仏像はよく見えなかった。


それで、手をぱんぱんと打って合わせ、目を閉じた瞬間、

ぶわっと俺の後ろに数えきれないくらい大勢の人々が並んでいる映像と、

俺の周りに緑色をした、よくわからない生き物がいくつかいるのが見えて

これまた「なんじゃこりゃあ」と思ってびっくりした。


なんかいろいろいたんだけど、

はっきり覚えてるのは、

エメラルドグリーンの直径20センチのまりもみたいなのがいたこと。


焦って振り向いてみたけど、

参拝客がまばらにいるだけで、

そんなのは何にもなかった。


それでも、

石段を降りるのもなんだか体が軽いくらいだし、

爽快な気分だったので、よい初詣をしたな、くらいに思って帰った。


しかしその年の春から今年の夏くらいまで、

ものすごいひどい年になって、

マジで死ぬ寸前までいった。


今はうって変って幸せに暮らしてるけど。

なんか今になって思うと、この生駒山での参拝は、

よかったのか悪かったのかよくわからない。


俺は、歓喜天の参拝の時に見えた、

俺の周りにいた生き物たちを

そこに置いて来てしまったような気がする。


それらは何であれ、

それまで俺を守ってくれていたような気がするのね。


だから、詳しいことが分かるような人、

この体験って何だったのか、

意見を聞いてみたい。


ちなみに、本当に実話。


地味な話だから分かると思うけど。