この集落一帯は宗教上の理由で中絶を禁止しており子沢山はあたりまえでした。
一世帯に10人を超える家庭も多く、貧しい家の中で5歳もむかえると下の赤ん坊の世話はあたりまえ
中学を卒業したら集団就職に出るのが村の掟でした。
しかし工場や屋敷に丁稚奉公してもまだ精神的には幼い子供が
仕送りしながら暮らす事など出来るはずもなく仕事を無くして故郷に帰っていきます。
そうすると、両親のほかに顔を見た事の無い新しい弟妹が生まれており、生活はより緊迫しています。
しかし両親は嫌な顔一つせず、正月にしか出さない大きな鍋を用意してご馳走を作ってくれるというのです。
具は畑で獲れた貧弱で細いわずかな野菜に、野草が少し、そして母の手にはよくといだ包丁が・・
子が泣き沈み、上質な赤々とした肉が食卓に運ばれてきます。
そして両親は言うのです。
「今・・漁師が足りねえみたいだから、明日海に行って連合に問いあわせるとええ」
その肉は、嗅いだこともない産まれて初めてのご馳走でした。
働きでのある者の為に、口減らしに子を食べた話を祖母から聞きました。
これは昭和の頃の話です。
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