友人の介護士が、同僚の女性介護士、酒井さん(仮)から聞いた話しだそうだ。

この怪談の舞台となる、酒井さんが以前勤めていたという施設だが、

群馬県に実在する営業中の老人ホームである為、名前を伏せさせていただく事をご容赦願いたい。

酒井さんがその施設に勤め始めて2年程の事だった。

その頃入居していた、夜間徘徊のある重度の認知症の女性Sさんが亡くなったという。

夜間徘徊と一口に言っても、個人個人で違いはあるが、

Sさんの場合、必ず深夜には廊下へ出て、どこへ行くでもなく彷徨っていたようだ。

Sさんが亡くなった晩、ちょうど酒井さんは夜勤として老人ホームで勤務を行っていたのだが、

その晩に限ってなぜかSさんの姿は廊下にはなかった。

ほとんど習慣化したSさんの深夜散歩が見えず、酒井さんは妙な不安を感じ、Sさんの居室へと様子を見に行く事にした。

酒井さんがSさんの居室へ近づいた時だった。

するりと、音もなく居室の引き戸が開いたのだ。

(あ、もしかしてSさんかな?)

そう思い、酒井さんが声を掛けようとした時だった。

居室から顔を覗かせたものに、酒井さんは腰を抜かしそうになった。

それはキャスター付きのベッドだった。

酒井さんをさらに驚かせたのは、そろりそろりとその姿を廊下へとさらけるベッドの上には、

Sさんが就寝時のままの姿で横たわっていたからだった。

まず、ベッドのキャスターは常日頃ストッパーがかけてある為、動き出すような事は絶対にない。

それ依然に、居室自体が傾いてでもいなければ、スットパーが外れていたにしてもベッドが勝手に動くはずなどなかった。

それなのに、酒井さんが唖然と見つめるその目の前で、

まるで誰かがベッドを押しているかのように廊下へと転がり出て、どんどんと廊下を進んで行ってしまうのだ。

さすがの酒井さんもたまらずにもう一名の夜勤職員に泣きついたそうだ。

二人でSさんのベッドの行方を探すと、

居室前の廊下から一つ曲がった何も無い廊下に、Sさんのベッドはぽつねんと止められていた。

気味が悪いのは当然二人共だが、大切な利用者を寒い廊下に放り出しておくわけにもいかず、

えっちらおっちらSさんのベッドを居室へと戻したのだが、

居室でSさんの状態を確認した夜勤職員は、Sさんが既に冷たくなっている事に気付いたのだそうだ。

その後わかった事だが、Sさんはどうやら就寝直後には亡くなっていたらしい。

何故ベッドが勝手に動き出したのか、それはさすがに謎のままだ。