その日の夜、晩御飯を食べながら夕刊を読んでいると母親に小言を言われた。
「まるでお父さんね」
大半は聞き流したが、この一言が一番効いた。いつもは食べながら新聞を読むなんてことはしないのだけれど、今日はどうしても気になることがあったのだ。なのにこの言われようはなんだ。「こんどお父さんが食べながら読んでたら、まるでちひろねって言ってあげれば」と反撃したが、3倍くらいにして言い返されたので、もう黙る。
『真昼の椿事? 石の雨』
他のローカル記事に埋もれていたが、そんな小見出しをようやく見つけた。
午前中のことだったから、やはり夕刊に間に合ったらしい。それは短い記事だったがあの路地に降った石の雨のことを取り上げていた。
軽傷者4名。被害にあった建物は13棟。
救急車に乗った人も大した怪我ではなかったらしい。
目撃者の談話が載っていた。
〔バリバリという大きな音のあと、急に空から石がバラバラと降って来た。最初は雹かと思った〕
音か。
私が聞いた気がしたのは、その音だったのだろうか。
〔住民も首を捻っている〕
そんな言葉でその記事は締めくくられ、結局石の雨の正体はわからないままだ。
「ごちそうさま」
と言って席を立つ。残した料理のことについて母親に小言を言われることは目に見えていたので早足でダイニングを出ると、背中を追いかけてくる言葉を無視して2階の自分の部屋に逃げ込む。
ドアを後ろ手で閉めるとテーブルの上に置いたままの紙袋を手にとって、『世界の怪奇現象ファイル』を取り出し、ゴロンと絨毯に寝転んだ。つけておいた折り目を目印に、目当ての頁をすぐに探し当てる。
≪空からの落下物≫の章にはこうある。
「にわかには信じられない話だが、この世には空から雨以外の奇妙なものが降ってく来るという現象がある。それは魚介類やカエル、氷や石、それに肉や血や金属や穀物、そして紙幣など実に多種多様なものだ。それらは紀元前の昔より世界中で多くの人に目撃されており、この現象に興味を持った超常現象研究家チャールズ・フォートにより『ファフロツキーズ(FAllS FROM THE SKIES)』と命名された……」
そんな説明に続いて、具体的な事例があがっている。
カエルや魚が降ったというケースが多いようだ。
1954年イギリス、バーミンガムのサトンパークでは海軍のセレモニーの最中、雨とともに何百匹、何千匹というカエルが空から降って来て見物人たちの傘にぶつかり、地面に落ちたあともピョンピョンと飛び跳ねていたという。
1922年フランスのシャロン=シュル=ソーヌでは、二日間にも渡ってカエルの雨が降り続いたと当時の新聞が伝えている。
近年の例では1989年オーストラリアのクィーンズランド州で民家の庭に1000匹のイワシが降ったとされる。
私はそんな膨大な事例の中から、石が降ったという記録を探し出していった。
1968年宮崎県の迫町で、ある薬局に小石に雨が降り、それが誰の悪戯とも判明しないまま半年間も続いたという事例。
そして1820年イギリスのサウスウッドフォードでは、ある家に石の雨が降り、通報によって警察官が配置される事態になったが、結局その石がどこからやって来るのか分からなかったという事例。
1922年カリフォルニア州チコの町の片隅に降った石の雨は、その現象が数ヶ月にも及んだが大学の調査チームにもその正体が分からなかった。
まだまだあったが、どれにも共通しているのは石の雨が広範囲に渡って降ったというわけではなく、むしろ極めて狭い範囲に集中してたということだろう。
1820年小石川の高坂鍋五郎の屋敷だとか、1600年代ニュー・ハンプシャーのジョージ・ウォルトンの屋敷だとかという記録を見ると、実にその個人に対して石の雨という攻撃が行われているような感想を覚える。
まるでその家の持ち主に恨みを持つ人間の仕業であるかのような気がする。
石がどこから来るのか分からないと言っても、誰かが見張っている時にはその悪戯を決行しなければいいだけの話だ。そして監視がない時を見計らって、物陰から投石をする。
その場に居合わせない人間が考えると単純な構造に思えるけれど、実際はどうなのだろうか。
その『世界の怪奇現象ファイル』には、このファフロツキーズ現象についてのいくつかの仮説が紹介されていた。
チャールズ・フォートは地上からのテレポーテーションによって移動した魚やカエルなどが大気圏中のある空間に蓄えられ、それが時に奇怪な雨となって地上に降り注ぐのだと考えた。
他にもプラズマや空中携挙といった荒唐無稽な説もあったが、現実的に思えたのは飛行機からの落下説と竜巻説だった。

飛行機説はほとんどの落下物を説明しうる可能性を持っているが、個々の事例においてその飛行機の目撃が否定されるケースが多く、魚介類の落下など時代的に飛行機の登場の前後にあってもその出現パターンが変わらないように見える事例を解釈し辛い。また、同じ場所に長期間に渡ってその現象が続くケースの説明にはならない。
竜巻説は地上の物体を空中に巻き上げて移動させ、別の場所に落下させるという現実に観測されるありふれた自然現象なのでもっとも有力な説にも思える。しかしカエルばかりだとか、ニシンばかりだとか、トウモロコシばかりだとか、1種類の動植物のみが落下することの説明となると苦しい。竜巻がそんなものを選り分けているのならともかく、地上にあっては他の動植物や石や砂を同時に巻き上げているはずだし、海や川にあっては水と一緒に水中の生物を種別に関わりなく吸い上げているはずだからだ。空中に上ったあとで、その空気抵抗に応じた落下のタイミングがそれぞれ同じ種別を自然と振り分けるのではないかというもっともらしい解釈もあるが、やはり同じ場所に降り続けるケースの説明が出来ないし、周囲数百キロ圏内にその動植物が存在しないというケースも多々あるのだ。
そんな解説をつらつらと読んでいて、思った。
個々のケースを同じ現象で説明しようとするからややこしいんじゃないかと。
これは竜巻、これは飛行機、これはイタズラ、そしてこれは嘘。
そんな風に分けて考えれば、案外シンプルなんじゃないか。
立ち上がり、壁に掛けたスカートのポケットを探る。
そして昼間にあの路地で拾った石を取り出して、テーブルの上に置いた。
「これは、なんだろうな」
そう呟いて指でつつくと、それはコトンと音を立てて傾いた。
『世界の怪奇現象ファイル』を本棚に仕舞い、読み疲れた目頭を手の平の腹で抑えながらベッドに横になる。

その夜、私は母親を殺す夢を見た。