先輩が小学校4年生くらいのころ、家の中でおかしなことが立て続いて起こったそうだ。例えば食器が棚から勝手に飛び出し地面に落ちて割れたり、窓のカーテンが風もないのにまくれ上がったり、部屋のどこからともなく何かがはじけるような音が断続的に響いたり、ある時など家族の目の前で花瓶に挿していた花がフワフワと宙に浮き始め、いきなり凄い勢いで天井に叩きつけられたこともあったらしい。
それが数日置きに何週間も続き、ある時パタリと止んだかと思うとまたしばらくして急に起こり始める。困惑した両親はついに有名な祈祷師を紹介してもらい、家のお払いをしてもらった。
その後、物が動いたりといったことはなくなり、何かがはじけるような物音や屋根裏を誰かが這っているような音は時々あったそうだが、やがてそれも起こらなくなった。
今お邪魔しているこの家でのことだ。
思わず部屋の天井の辺りを見上げたが、特になにも感じる所はなかった。
「聞きたいのは、石が降ってきたことがあったかどうかです」
「石? 家の中に?」
「家の外でもいいですけど」
先輩は記憶を辿るような視線の動きを見せた後、「なかったと思う」と言った。
「じゃあ石じゃなくてもいいですけど、家の中になかったはずのものがどこからともなく現われたりしたことは?」
「……お皿とか果物とか色々飛んだり落ちたりしてたけど、全部家にあったものだからなあ。ないモノが出てくるって、なんか凄いね。サイババみたい」
先輩は面白がって、最近テレビで見たというサティア・サイ・ババのアポート(物品引き寄せ)について喋りだす。
「こんなしてさ、手のひらぐるぐる振ってから、出しちゃうのよ」
テーブルの上にあった鋏を手に持ってその様子を実演してみせてくれる。
私は少しがっかりした。

「そんなにポルターガイストとかに興味あるの? あたしも最近は全然だけど、むかし気になって色々調べたから、そっち系の本があるよ。読みたいなら貸すけど」
「是非」と言うと、先輩は「ちょい待ち」と部屋の本棚をゴソゴソと探し回って何冊かの本を出してきてくれた。
いずれもオカルト系の雑誌の類だ。それぞれポルターガイスト現象に関する所に付箋がついている。
礼を言って、おいとまをしようとした時、先輩が私の顔をまじまじと見つめてきた。
「あなた、ちょっと変わったね」
先輩こそ剣道部で後輩をしごいていたころからしたら、随分肉がついてしまってるじゃないですか。
そんなことを婉曲に言ってみたが、先輩は自分のことはまったく耳に入らない様子でブツブツと口の中で呟いている。
「変わったというか、変わっている、途中、みたいな」
その瞬間、背筋に誰かの視線を感じた気がして振り返りそうになる。
「あ、ごめん。気にした? まあ、また今度ゆっくり話そ」
なんだろう。今の感じ。
その嫌悪感を、私は"知っている"。そんな気がした。
玄関を出て、家の前で見送ってくれる先輩に最後に一言だけ問いかける。
「最近、怖い夢を見ませんでしたか」
先輩は顔を強張らせたかと思うと、柔和な笑みでそれをすぐに包み隠す。
「そう言えば今朝がた見たけど。変な夢だったな。ありえない夢」
オヤスミ。と手を振って先輩は家の中へ消えていった。誰もいない、たった一人の家に。
私は自転車に乗っかると全速力で漕ぎ出した。
家に帰り着くのが遅くなるにつれて母親の小言の量が比例して増えるのだ。
星を、空に見ながら夜の道を急いだ。

『ポルターガイスト現象の事例として名高いのは1848年、ニューヨーク州ハイズビルのフォックス家を襲った怪現象がその筆頭として挙げられる。また近年では1967年、ドイツのローゼンハイムにあるアダム弁護士事務所で起きた事件や、1977年以降、ロンドン北部エンフィールドのハーパー家で起きた怪異も広く知られている』
そんな説明を読みながら、ふと、学校の教科書もこのくらい熱心に見ていたらもっと成績も上がるだろうに思い、自虐的な笑いが込み上げて来る。
もう時計は夜の12時を回っている。
先輩から借りた本をさっそく読んでみたのだが、かなりの分量がある。明日も学校があるし、適当なところで切り上げて早く寝た方が良いと分かっているのだが、何故か気が逸って手を止められない。
ハイズビル事件ではフォックス家の次女マーガレット(15)と三女ケイト(12)の周辺で壁や天井を叩くような奇妙な物音が聞こえ始め、その物音とある合図によって交信を図ることで霊とのコミュニケーションをとることに成功したと言われている。
ローゼンハイム事件では電話機の異常から始まり、蛍光灯の落下や電球の破裂、金庫やオーク材のキャビネットが独りでに動くなどの怪現象が起こった。
エンフィールド事件では娘のジャネット(11)が部屋で聞いた「何かを引きずる音」に端を発し、おはじきや積み木が空中を飛んだり、タンスが独りでに数十センチも動いたり、ジャネットが寝ようとするとベッドからトランポリンのように投げ出されるといった不可思議な出来事が1年あまりも続き、その間に近所の住民やマスコミ、ソーシャルワーカー、イギリス心霊現象研究協会のメンバーなど延べ30人以上の人間がこれらを目撃したと言われている。
その他の様々な事例の紹介を見ていくと、本の総論として解説されるまでもなく、かなりの割合でその現象の焦点になっているのがティーンエイジャーの若者、それも女性であることに気づく。

ローゼンハイム事件では弁護士事務所の秘書、アンネマリー・シュナイダーが現象の中心にいたとされているが、彼女は当時まだ18歳であり、怪現象は彼女が出勤している時にばかり起こっていることを超心理学研究所のハンス・ベンダー教授に指摘されている。その後アンネマリーが解雇されると怪現象はピタリと収まった。
ポルターガイスト現象とはその名の通り、ポルター(騒がしい)・ガイスト(霊)の起こす現象とされることが多かったが、近年では様々な解釈がなされている。
低周波や水撃音などで科学的に説明しようとするものや、売名目的のでっちあげとする説、また超心理学者などはこれを超常現象の一種であると位置づけている。
その超常現象説では現象の焦点になっているのが若年者であることに注目し、精神的に不安定である思春期前後の彼女らが抑圧されたフラストレーションの捌け口として、無意識的にサイコキネシス現象を発動しているのではないかとした。
超心理学者たちはこの現象をRSPK(反復性偶発性念力)と呼ぶ。
無意識に起こるPKなので、その当事者も基本的には自らを被害者であると認識している。エンフィールド事件では焦点となったジャネット自身、ベッドから跳ね飛ばされて寝れないという被害を受けている。
その瞬間を捉えたという写真が本に掲載されていたが、なんともコメントしづらい写真だ。宙には浮いているのだが、自分で跳んでいるようにも見える。
「RSPKか」
ボソリと口にすると、なんだか面映い。
そんな変な言葉で説明するより、もっと単純な解釈があるように思えてならない。
思春期の子どもがいる家で起こった現象なら、真っ先にイタズラじゃないかと疑うべきだろう。
実際ハイズビル事件ではフォックス姉妹が後に、あれは関節を鳴らすなどした自分たちのトリックだったと告白しているらしい。
一つの事例がトリックだったからといってすべての事例がトリックだと断言するのは乱暴だが、疑われてしかるべきだろう。