昨日の午後6時過ぎ、北の空に謎の発光現象が起こるのを多くの人が観測したという内容だった。
私が図書館にいた時間帯か。見たかったな。
けれどこんな事件にはもうあまり価値はない。
ばら撒かれるピースに顔を寄せて覗き込んでもなにも見えてこない。私は昨日得た強引な仮説に基づいて、この怪現象の全体像を捉えようとしているのだから。
学校に着いた。
校門の内側で人だかりが出来ている。
近寄ると校内の地面に20センチほどの深さの凹んだ跡があった。その周囲1メートル四方にまるで巨大なハンマーで力任せに叩いたようなヒビが入っている。
昨日まではなかった。夜の間にこうなっていたらしい。
教師たちに追い払われ、みんなヒソヒソと口を寄せながら昇降口に吸い込まれていく。
不思議だがこれもただのノイズのようなものだ。実体ではない。捉われてはいけない。
教室に入ると、いつにも増して妙にざわついた雰囲気が辺りを覆っている。
朝礼で担任の教師が生徒に向かって「浮わついているようだから、気を引き締めるように」という、まったく具体性のない説教を自信なさげに口にした。
先生自身なにをどう注意すればいいのか分からないのだろう。
1時間目の授業は生物だった。内容に全然集中できない。
(今日は金曜日か)
休日よりも平日の方が情報収集には向いている。今日一日でどれだけ情報を集められるかが勝負だ。
1時間目が終わり、休み時間に入る。
さっそく今朝の校門のそばの凹んだ地面についての噂話が始まる中を強引に割り込むようにして私は次々と質問をしていった。
「怖い夢を見なかったか」と。
誰も戸惑いながら顔を強張らせて答える。
多くは「見てない」という答えだったが、ぽつりぽつりと「見た」という返事も混ざっていた。

普段クラスメートとは距離を置いている私が、ズカズカとプライベートに踏み込んで来るのを不快そうにする連中から、それでもなんとか重要な部分を聞き出す。
「見たよ。お母さんを殺しちゃう夢」
そんな答えをした子が、複数いた。
やっぱりだ。
みんな同じ夢を見ている。
細部まで同じ。ドアのチェーンを外して、迎え入れた母親に刃物で切りつける夢だ。
私は昨日今日と繰り返された夢の中で現実と異なる場面が2度も続いたことが引っ掛かっていた。
私の家の玄関のドアには、チェーンなんかないのに。
そして背伸びをしてそのチェーンに手を伸ばしたこと。これは明らかにおかしい。
170センチを超える私が背伸びしなくてはいけないなんてことはないはずだ。
子どものころに植えつけられた記憶でもない。ずっとあの家に住んでいるのだから。
だから、あの背伸びをしてチェーンを外す感覚は、私の中ではなくどこか外側からやって来たものなのだ。
そう。例えば、母親を憎み、殺したがっている子どもの意識が、あるいはそのために見ている母親殺しの夢が、その子の小さな頭蓋骨から漏れ出て、夜の闇を彷徨い、侵食し、融解し、私たちの夢の中へと混線するように入り込んで来るのだ。
それは夜毎に私たちの深層意識へ吐き気のするような暗い感情をひたひた、ひたひたと刷り込んでいく。
私は教室の真ん中で、肘を抱えて動けなくなった。
怖い。
誰かこの震えを止めてくれ。
クラスメートたちの視線が容赦なく突き刺さる。
変なヤツだろう。
私もそう思う。
しばらく固まったまま呼吸を整える。恐怖心が霧のように散っていくのを待つ。

よし。
まだ頑張れる。
そして歩き出す。


その日の昼休み。私は自分の席にノートを広げ、これまでに集めた情報を整理していた。
まず聞いて回った「怖い夢」について。
分かったことはみんなかなり以前から「怖い夢を見ている」という漠然とした記憶があったこと。そして昨日、つまり木曜日の朝、私のように初めてその夢の内容を覚えていたという子が何人かいる。
その夢は母親を殺す夢。
覚えている鮮明さに差はあっても、ほぼ同じ内容の夢であることは間違いない。つまり、現実の玄関のドアにチェーンがある子もない子も一様に、夢の中では玄関にチェーンがあり、それを外して母親を迎え入れている。
母親の顔はそれぞれの母親のものだ。けれど間違いなく自分の母親の顔だったかと問われると、みんな口ごもる。それは"母親"というイメージそのものを知覚し、朝起きてからそれを思い出そうとしたときに自分の中の母親の視覚情報を当てはめて、記憶の中で再構築が行われているということなのかも知れない。
私も夢の中でドアを開けて入って来る母親の顔に、いや、その表情に違和感を感じている。本物そっくりだけれど輪郭の定まらない仮面を着けているような、違和感。
『違和感』とノートに書こうとして、漢字が分からず直しているうちにグシャグシャにしてしまい、目玉をつけて毛虫にした。
みんな母親を殺す夢を見たことを周囲に話していない。
確かに他人に話しても気分の良いものではないだろう。だから、お互いが同じ夢を見ていることをまだ知らない。
どうする? 注意を喚起するべきか。
それはすぐに却下する。意味がない。せめてこれから何が起こるのか、あるいは何も起こらないのか、分かってからだ。

もう一つ重要なことがある。「怖い夢」を見ていたという漠然とした認識があった子もいれば、そんな認識がない子もいる。そして認識があった子の中でも、昨日の木曜日から夢を覚えている子もいれば、今朝初めて覚えていたという子もいるし、そしてまだ「なんか怖い夢を見たけど忘れちゃった」という子もいるのだ。
この個人差が、あるいは霊感と呼ばれるものの差なのかも知れない。
けれど何故か単純にそう思えないのだ。その"霊感"が影響しているのも間違いないだろう。でも、ここにはなにか別の要素があるように思えてならない。
私は鞄から、折り畳んで突っ込んでおいた市内の地図を取り出す。
そして一昨日から起こっている様々な怪現象の出現ポイントを地図上にオレンジ色のマーカーで落としていく。
昨日一日にも色々と起こっていたらしい。これまでの休み時間に恥も外聞もなく掻き集めた情報だけでもかなりの数の異変が確認できる。
風もない緑道公園の上空を、大きな毛布がふわふわとゆっくり飛んでいたかと思うと急に落下して川に落ちたという事件。
資格試験のための予備校で、講師のマイクが原因不明の唸り声を拾ってしまい授業にならなかったという事件。
住宅街の電信柱が、誰も気づかない内に引き抜かれ、その場でコンクリート塀に立てかけられていたという事件。
こんな奇妙な出来事が頻発しているというのだ。
なかにはただの思い違いや、誰かのイタズラが混じっているかも知れない。でもひとつひとつに取材をして確認していく余裕はない。私はとにかくそうした情報があった場所を地図に書き入れ続けた。
「出来た」
顔をノートから離し、俯瞰して見る。
点在するオレンジ色。一見なんの法則もないように見えるそれを慎重に指で追う。
一番右端、つまり東の端にある点にシャーペンの芯を立て、その左斜め上にある点まで線を引く。そのままスムーズに伸ばすと次の点がある。紙を滑るシャーペンの音。

そうして地図上の一番外側のオレンジ色を結んでいくと、そこには少しいびつな格好の「円」が現れた。
他のオレンジ色はすべてその内側にある。
想像が現実になっていくことにゾクゾクする。
次に私は家から持って来た同級生の住所録を鞄から取り出す。まさかと思いながらも昨日立てた仮説に役立つかも知れないと用意したのだが、さっそく使う場面が来た。
初めて開く住所録を片手に、今日聞いた「怖い夢」を見ていたという子の家がある辺りを、ひとつひとつ蛍光ペンで塗っていく。
木曜日に見た子。金曜日に見た子。そしてまだ内容を思い出せない子。それぞれ赤、青、緑の3つの色を使って塗り分ける。
それらの色とオレンジ色との関連性は見つけられない。接近しているのもあれば、全く離れているものもある。オレンジの円の外側に位置しているもさえある。けれど赤、青、緑には明らかに相関性があった。
赤が最も円の中心に近く、青、緑の順にそこから離れていっている。
早い時期に夢を思い出せた人ほど、円の中心に近い場所に住んでいるのだ。
ふぅ、と息をついてペンを置く。
昨日、ポルターガイスト現象についての本を読みながら私は考えていた。
もし仮に、街中で起きた怪現象がそれぞれ個別の現象でないとしたら。もし仮に、この怪現象の焦点となっているのがたった一人の人間だとしたら。もし仮に、通常、閉鎖的な家屋の中でしか影響を及ぼさないはずのポルターガイスト現象が、壁を越えて屋外までその力を及ぼしているのだとしたら。そしてもし仮に、ポルターガイスト現象の正体が、RSPK、反復性偶発性念力による無意識の自己顕示性と暴力性の発露だとしたならば……
とんでもない力だ。そら恐ろしくなるような。
市内全域のほぼ半分をその影響下に置いてしまっているなんて。
寒気が頭の芯にまで這い上がってくる。
『エキドナを探せ』
間崎京子の声が脳裏を掠める。