「だから、言ってるでしょ。同じだって。あんたも見たんだろ、アノ夢を」
真横から聞こえたその声に驚いて顔をそちらに向ける。
小さな鉄柵の向こうにブランコがひとつだけあり、そこにもう一人の人物が腰掛けていた。キィキィと鎖を軋ませながら足で身体を前後に揺すっている。
「あんた、高校生?」
馬鹿にしたような言葉がその口から発せられる。目深にキャップを被っているが、若い女性であることは、声と服装で分かる。太腿が出たホットパンツにTシャツという、涼しげな格好。あまり上品なようには見えない。
「ま、ここまでたどり着いたってことはタダモノじゃない訳だ」
意味深に笑う。
私の体内の血液が徐々に加熱されていく。
同じなのだ。この人たちは。私と。
彼らは街で起こった怪奇現象と母親殺しの夢の秘密を解いて、ここに集った人間たちなのだ。
得体の知れない不吉さと不安感に駆られて動き回った数日間が、絶対的に個人的な体験だったはずの数日間が、並行する複数の人間の体験と重なっていたということに、歓喜と寒気と、そして昂揚を覚えていた。
「あなた、さっきの夢は、どこまで?」
おばさんがこちらを向いて聞いてきた。私はありのままに話す。
「やっぱり」少し残念そう。「みんな同じ所までで目が覚めてるのね」
「も、もういいよ。ここでいつまでも話してたってしょうがないだろ」
眼鏡の男が手を広げて大げさに振った。
「でもねぇ、これ以上はどうやっても探せないのよね」おばさんが頬に手のひらを当てる。「あんな、月とビルの位置だけじゃ、ある程度にしか場所を絞れないし、時間経っちゃったから、余計に分かんないのよね」
「こうしてたって、余計分かんなくなるだけじゃないか」
「そうよねえ。取り合えず、近くまで行けばなにか分かるんじゃないかと思ったんだけど……」

そんな言い合いを聞きながら、私の脳裏には先週の漢文の授業で先生が教えてくれた「シップウにケイソウを知る」という言葉が浮かび上がっていた。確か、強い風が吹いて初めて風に負けない強い草が見分けられるように、世が乱れて初めて能力のある人間が頭角を現すというような意味だったはずだ。
昼間には無数の人々が行き来するこの街で、誰もかれも自分たちのささやかな常識の中で呼吸をしながら暮らしている。それが例え、日陰を選んで歩く犯罪者であったとしても。けれど、そんな街でもこうして夜になれば、常識の殻を破り、この世のことわりの裏側をすり抜ける奇妙な人間たちが蠢き出す。普段は、お互いに道ですれ違っても気づかない。それぞれがそれぞれの個人的な世界を生きている。
それが今はこうして、同じ秘密を求めてここにいるのだ。のっぺりとした匿名の仮面を外して。
私はそのことに言い知れない胸の高鳴りを覚えていた。
「4人もいたら、なにか良い知恵が浮かんできそうなものなのにね」
おばさんがため息をつく。
キャップ女が鼻で笑うように「4人だって? 5人だろ」と指をさした。
みんながそちらを見る。大きな銀杏の木がひとつだけ街灯のそばに立ってる。その木の幹の裏に隠れるように、白い小さな顔がこちらを覗いていた。
私はそれが生きている人間に思えなくて、髪の毛が逆立つようなショックがあった。
けれどその顔が、驚きの表情を浮かべ、恥ずかしそうに木の裏に隠れたのを見て、おや? と思う。
「え? あら。女の子?」
おばさんが甲高い声を上げる。
「お、おいおい。いつからいたんだ。全然気づかなかったぞ」と眼鏡の男が呟いて、額の汗をハンカチで拭う。
「ねぇ、あなた近所の子? こんな遅くに外に出て、だめじゃないの」
おばさんが優しい声で呼び掛けると、顔を半分だけ出した。10歳くらいだろうか。
「あら、この子、外人さんの子どもかしら」
言われて良く見ると、眼球が青く光っている。街灯の光の加減ではないようだ。

「帰った方がいい。ここは危ない」
眼鏡の男が早口でそう言い、近寄ろうとする。女の子はまた木の裏側に隠れた。男が腕を前に伸ばしながら、回り込もうとする。すると、その子はその動きに沿ってぐるぐると反対側に回る。
「あれ、なんだこいつ。なに逃げてんだよ、おい」
眼鏡の男が苛立った声を上げるのを、ブランコに揺られながらキャップ女がせせら笑う。
「あんたロリコン?」
「うるさい」
「ちょっと、やめなさいよ。怯えてるじゃないの」
おばさんが男をなだめる。
「大したものだな。この子、この歳であたしたちと同じモノ見てるんだよ」
キャップ女の口の端が上る。
そんなバカな。こんな小さな子どもが、私と同じことを考えてここまでやって来たというのだろうか。
そう思ったとき、私の耳がある異変をとらえた。
「し」と誰かが短く言う。
息を呑む私たちの耳に、鳥の鳴き声のようなものが聞こえて来た。
ギャアギャアギャア……
カラスだ。
私はとっさにそう思った。公園の中じゃない。
全員が身構える。
鳴き声は次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
ブランコが錆びた音を立ててキャップ女が降りて来る。
「なんて言ったと思う?」誰にともなく、そう問い掛ける。
「警戒せよ、だ」
彼女は私の顔を見てそう言った。なぜかデジャヴのようなものを感じた。
足音を殺して、全員が公園の出口に向かう。行動に転じるのが早い。躊躇わない。

私も深呼吸をしてからそれに続く。
公園の敷地を出てから、すぐにアスファルトを擦る靴の音がやけに大きく響くことに気づく。眼鏡の男の革靴だ。みんな足音を殺しているのに。
複数の睨むような視線に気づきもしない様子で、彼は先頭を切って公園に面した道路を右方向へと進む。月の光に照らされる誰もいない夜の道を、5つの影が走り抜ける。5つ? 振り向くと、小さな少女が厚手の服をヒラヒラさせながら、少し離れてついて来ている。
青い眼が月光に濡れたように妖しく輝いて見える。
あれも肉体を持った人間なのだろうか。なんだかこの夜の街ではすべてが戯画のように思える。そしてこれから、なにかもっと恐ろしいものを見てしまうような気がして足を止めたくなる。それは、昼と地続きの夜を生きる人にはけっして見えないもの。引き抜かれた道路標識などとはまた違う、自分の中の良識を一部、そして確実に訂正しなくてはならないような、そんなものを。
私はいつのまにか現実と瓜二つの異界に紛れ込んでいるのではないだろうか。慎重に足を動かしながらそんなことを考える。
細長い緑地が住宅地の区画を分けていて、その一段高い舗装レンガの歩道の上に大きな木が枝を四方に張っていた。生い茂る葉が月を覆い隠し、その真下に出来た闇に紛れるように小動物の蠢く影が見えた。
立ち止まる私たちの目の前でギャアギャアという不快な声を上げ、その影がふたつ飛び立った。
カラスだ。2羽は鈍重な翼を振り乱して、あっというまに夜の空へ消えて行く。
私たちは息を潜めてカラスたちがいた場所を覗き込む。暗がりに、それはいる。
ああ。やはりこちらが夢なのかも知れない。私の知っている世界では、こんなことは起きない。
「エエエエエエエ……」
弱弱しい声を搾り出すようにして、身を捩じらせる。それは、まるで巣から落ちてしまったカラスの雛のように見えた。さっきの2羽が心配して覗き込んでいた両親だろう。けれどあの悲鳴のような鳴き声は、我が子を案じる親のそれではなかった。